貯蓄税とは?貯蓄税で喜ぶのは金庫屋さんだけ。

先日、とあるワイドショーで「貯蓄税」なるものが紹介され話題となったみたいです。貯金税かと思いましたが、正確には「貯蓄税」のようです。で、簡単に調べてみました。

具体的にどんな税金かと言うと、1,000万円以上の預金に対して2%程度の税金をかけるというもの。これで、1,000万円以上預貯金を持っている人は、税金を取られたくないので消費に回すと言うわけです。で、景気が良くなると・・・

でも、本当にそうでしょうか?そんなにうまくいくか?

たぶん、私なら銀行に預けた1,000万円以上のお金を引き出してタンス預金します。ということで、日本全体の景気は良くならないでしょうね。景気が良くなるどころか、預貯金を引き出される銀行がまず大打撃を受けます。で、体力の無くなった銀行は貸し渋り、貸しはがしに走る。で、中小企業の経営が危うくなり、従業員の給料が下がり、景気は悪化する。

また、今の世の中は将来が不安だから国民は消費せず、貯金しちゃうんです。不安な将来を誰にも迷惑かけずに生きていく為に、今したいことや欲しいものを我慢して貯金しているわけです。

そういう思いで貯金しているのに、その貯金に税金かけて絞り取ろうなんて馬鹿げています。

たぶん、タンス預金としてお金を保存する為に、金庫だけが売れると思います。喜ぶのは金庫屋さんだけです。

って、思うんだけどなぁ~。

コメント

  1. shn より:

    「財源がない」にだまされてはいけない。
    サラ金だって、「ご利用は計画的に」というのに、計画経済ではなくてなぜ自由主義市場経済は可能なのか。
    神の見えざる手という有名な言葉があって、経済は市場の自由な運動に任せておけば需要と供給の関係でおのずから最適な位置に落ち着くのだということのようですが、でも供給と需要は全然別のものじゃないか、おコメを百俵作った人がそれを売りに出したがそのコメを必要とする人には金がなくて、コメは売れ残り人は餓死するでは最適な状態とは言えないのではないか、というと、そういうことではなくて、セーの法則、もしくは販路の法則というのがあって、供給それ自体が需要を生み出す、のだそうです。これは経済学上ではあたかも物理学におけるエネルギー保存の法則といえるものなのだそうで、どういうことかというと…
    ある樵が山林地主に一万円をはらって木を切り出し、二万円で材木屋に売った。それを家具職人が三万円で買い、テーブルを作って四万円で売りに出した。各人の収入はそれぞれ一万円で、四人の収入の総計は四万円である。左側には四万円の収入があり、右側には四万円の商品がある。
     もし樵の取り分が五千円であれば三万五千円の総収入に対して三万五千円の商品になり、材木屋が自分の収入を一万五千円にすれば四万五千円の総収入が四万五千円の総商品に対することになる。さらに一人の商人が現れてそのテーブルを買い五万円で売るとしても同じで一方に五万円の総収入があり反対側には五万円の商品がある。全世界の収入の総額と商品の総額は常に等しい。この二つは違うことができない。だから収入のすべてが支出されればすべての商品が売り切れる。
     これは非常に優れたシステムで、もし商品が売れ残るとすればそれはその商品が市場にとって不要なものだったからであり、必要な商品である限り必ずそれが売り切れるだけの収入がおのずからもたらされていることになる。
     ただしここで肝腎なのは「収入のすべてが支出される」ということで、(マルクスとケインズが批判したのもここですが)
    このとき、収入の一部が支出されずに貯蓄に回されるとするとその分の商品が売れ残ることになり、その商品が売れればもたらされるはずの収入が実現しないことになる。そこに発生する貧困の量は貯蓄の量と等しい。使われずに残った貯蓄は世界の反対側に自分と等しい量の「実現しなかった収入」・貧困を生み出す。
    一方で、貯蓄するということはもう消費に金は使わない、消費財はいらない、と市場がいっているわけなのだからそれだけ資本財、生産財に資源を振り向ける余裕を手に入れたのだともいえる。
    資本主義の初期においてはブルジョワジーという偉大な種族がいて利潤をすべて投資に次ぐ投資に振り向け資本財、生産財を拡充し世界を豊かにしたというふうに昔習った記憶があるのですが、今の日本はカネ余りとか言って産業育成のための投資に振り向けられずに漫然と溜め込まれたままになっているのだそうで(というよりは投機目的で溜め込まれている)、するとその巨大な貯蓄の分だけ消費が不足し、実現されない収入・巨大な貧困が生まれる。
    自由主義市場経済で完全雇用が実現するのは貯蓄がゼロのときで、貯蓄が存在するときは貯蓄と同じ大きさの投資をしなければ失業と貧困が発生する。

    もはや投資に次ぐ投資で事業を拡大した偉大な種族が滅びてしまった現在、国づくりがあらかた終わってしまったといわれる現在では、この巨大な貯蓄を何とかするには、貯蓄している人に何とかものを買ってもらうとか、軽いインフレ状態にして今使わなければ損をするぞと脅かすとか、貯蓄分は税金で没収するぞといって強制的に支出させるとか、それでも使わなければ本当に没収して国が代わりに使ってやるとか、もしくは安い金利で借り上げて国づくりに使うとか、多く貯蓄する富裕層からあまり貯蓄のできない貧困層に所得を移転するとか、または、使わないで貯めこむだけの人がいるなら、貯めないで使う人がいればいいわけだから誰かが巨大な赤字を出して借金経営の事業をするとか、とはいってもそれだけの赤字に耐えられるのは民間にはいないだろうから国が赤字財政で何かをするとか、またはそもそもカネがしまいこまれてしまっているのだからその不足分のカネを印刷するとか、が必要になる。
    投資しきれないほどの貯蓄が眠っているということはそれだけのお金を持つ資格と能力のない人の手にお金が集まっているということであり、一方にはお金がなくて失業、ホームレス、餓死、自殺が発生しているということは現在の貯蓄のシステムが重大な欠陥を抱えていということだ。失業、ホームレス、餓死、貧困…は自己責任ではない。
     税収が足りない・国債は国の借金だ・とデマゴギーを振りまいている人がいるが、それなら国債に投下されている金を税金として徴収することにすればよい。それを嫌って貯蓄が全部消費にまわされるならば完全雇用が実現してしまうわけだから国がすることもできることもなくなるわけでそのほうがマシなのだ。
     もしくは発想を逆にして、貯蓄の残らない世界を作れば無駄なバラまきをしないですむ。